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豊饒の海・春の雪

三島由紀夫の「春の雪」を読み終えた。

昨日前半を読んだときは、読み慣れない語彙と文章回し、漢字の多さ、鋭すぎる心理描写に少々疲れてしまっていた。

が、今日、後半を読むと、幾分読みなれて、物語も動き出しいっきに先を読み進めた。

そして読み終えた今、少し胃が重く感じている。きっと三島由紀夫の文章が鋭利な刃物のようだからであろう。

どれをとっても美しく切れがある。文章の最初の1文字から末端まで隙が無い。隣の文章へ移る流れまでも。

一言で説明できることでさえも、比喩をたっぷり使っていたりする。詩的でもある。

戦死者の写真のあたりの描写もすごいけど、海の白波を表現するあたりの詩的な描写も三島由紀夫しか描けないだろうなあ。

メインの部分とは離れているが、心にとまった箇所がある。

タイの王子が清顕の別荘で夏を楽しく過ごしていたそんな時、タイにいる恋人が病気にかかり亡くなったと日がたってから知らせを受け悲しみに嘆く場面である。


僕がさっきから解こうとおもっていた謎は、月光姫(ジン・ジャン・恋人)の死の謎ではなかった。

それは月光姫が病んで死ぬまでの間・・(略)この世にいなくなってからの二十日間、何一つ真実は知らされず、僕がこのいつわりの世界に平然と住んでいられた、というその謎なのだ。

あの海や砂浜のきらめきをあれほどはっきりと見ていた僕の目が、どうしてこの世界の底のほうで進んでいた微妙な変質を見抜くことができなかったのだろう。

世界は瓶(びん)の中の葡萄酒が変質するようにこっそりと変質をつづけていたのに、僕の目はただ瓶を透かして、そのかがやう赤紫色に見とれていただけだったのだ。

なぜ僕は少なくとも日に一度、その味わいのかすかな移りゆきを検証しようとしなかったのだろう。

朝のそよ風、木々のそよぎ、たとえば鳥の飛翔や鳴き声にも、間断なく目をそそぎ耳を澄ましていることもせず、それをただ大きな生の喜びの全体を受けとって、世界の美しさの澱(おり)のようなものが、日ごとにそれを底のほうから変質させていることに気づかなかった。ある朝、もし僕の舌が世界の味わいに微妙な差を発見していたら、・・・ああ、もしそうしていたら、僕は即座にこの世界が、「月光姫(ジン・ジャン)のいない世界」に変わってしまっていることを、嗅ぎ当てていたにちがいいないのだ(春の雪・三島由紀夫・新潮文庫P310より)


愛する人を失ったことの痛烈な嘆き、知らずに楽しんでいた日々に対しての呵責、愛する人のいない世界は「偽りの世界」に住んでいたと言うほどの愛情の深さ、それらへの表現がすごいなあと思った。


「豊饒(ほうじょう)の海」四部作は三島由紀夫最後の作で、問題作でもあるそうである。

第一巻のこの「春の雪」は次の3巻の伏線なそうである。どうつながっているのか楽しみになってきた。早速、次の巻を予約した。


今日の「いい事」は、本を一冊、読み終えたこと。

最初、難解で読み始めたことに少し後悔していたのだが、最終的に興味をもてたこと。

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Last Modified : 2019-08-08