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豊饒の海・奔馬

「豊饒の海」の2巻目の「奔馬」を読み終えた。

1巻で愛を貫いて死んだ青年清顕(きよあき)が転生し、この2巻では皇室を崇拝する学生・勲(いさお)として登場する。

転生したのは勲だけで、その事実を知っているのは清顕の当時の友人本多で、時が経ち、裁判官になっている(のちに弁護士に)。

純粋で危険な思想をもった学生・勲の危険な思想と死生観・美学、行動。

彼がある物語を読んで触発され決起に至ったその本も、この本の中で目を覆いたくなるほどに生々しく、かつ憧れとして詳細に書かれている。


一巻を読んだ時も最初、そうであったが、読み始めて「しまった!」と思った。

三島由紀夫ながらの、卓越した文章は絶賛するけれど、川端康成とか、物語で言えば、源氏物語とか赤毛のアンとか、明るくて、さらっと読めて、夢夢しいのを好きで読んでいる私には、正直かなりつらかった。


昭和40年頃、雑誌に連載して書いていたそうだが、読者の人はどういう気持ちで読んでいたのだろうか?

私と同じ反応をした人もいれば、小説に啓発された人もかなりいるのかもしれない。

彼の他の小説や彼自身についてほとんど全く知らないから、こんなことを考えてしまうのだが。

殺人小説を書いている作家が、決して心の中で殺人願望があって書いているわけではないけれど、当時の雑誌掲載中の読者は知るよしもなかったことだが、彼が主人公の学生と同じように実際4巻目を書き終えたその時に自決しているのを、過去の私は知っているわけであるので、どうしてもどこかで主人公と三島がだぶってしまう。


これほどの内容を書ける彼なら、世の中の不公平を知り感じ怒りをもちあわせていたかもしれない。

また皇室崇拝・死生観もあったのだろうか。


かれは小説を書くために、いろいろな事件の文献を参考にしているという。

そういったものも集めているうちに、種々の事を知り、怒りを感じ、世の中を嘆き、昔の日本を振り返り、眠っていた皇室崇拝の精神も覚醒し、死生観をもつようになったのであろうか。

最初は作家として面白い内容を思いついて書き始めた長編小説に、書いている自分自身がとりこまれてってしまったのだろうか。

舞台の役者が台本を演じているうちに演技が終わってもその役がなかなか抜けきれなかったり、私生活までなりきってしまう人がいるように。

と、勝手な推測をしているのは、またいつもの悪い癖で、内容より作った作者の内面に関心がいってしまったからである。


本の中での理性的な本多の存在は、読んでいてとても安心感を与える。

彼が勲に何度も思想への危険について諭している。

そして、周囲の人たちも、世の中のあらゆる面や人間の心理を見せてくれている。ゆがんだ愛や汚れた処世術までも。


三島由紀夫に関心はもったのだが、三島由紀夫のような人が実際にそばにいたら、あまり近寄りたくないと思った。

心の中を見透かされてしまいそうだし、行動の先の先まで、読まれてしまいそうだからである。

それだけ物を書く技術が神業的に優れていると言いたい。


それと、現代の感覚では狂気的に見える危険な思想をもつ勲も、その点以外は全く普通の若者である。

想像もできないでいた、現代世界を脅かしているテロの人の心理も敵対心も、彼と似ているものがあるのかもしれないとふと思った。


小説の内容は、後半、あらら?と思ったら、やっぱり・・・で終わった。

最後の方で読んでいて、ちらっと涙が出たので、「いったい私のこの涙は何だろう?」と考えたのだが、それはたぶん、三島由紀夫のここまで書いた心情に何か感じたのだと思う。


次は3巻の「暁の寺」。次の舞台はタイに移るらしい。

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Last Modified : 2019-08-08